しわすー!
生まれも育ちも日本であり、日本に引きこもってるな僕が言うのもなんなんですが、「今年ももうこんな時期」、というのは全世界共通の挨拶じゃないでしょうか。
さてすこし早いですが今年の一年を総括させてもらいます。
来年こそはほん(略)
さてすこし早いですが今年の一年を総括させてもらいます。
来年こそはほん(略)
神か俺か
小説を書くときに、その登場人物の言葉を発する理由までもを計算して書くのか、それともぼんやりとしたプロットだけを決めてあとは流れに任せ即興的に書くのか、ということが言われることがあるけども、BNSKのみんなどっちで書いてるのかな。っていうかそもそも小説を書いてるのかな。俺は書いてません。
例えば小説なんか読んでると、いかにも虚構らしい、いいかえればうさん臭い作りごとめいた文章が出てくる訳です。ハイテンションなラノベとか見るとよく実感できるんじゃないでしょうか。(もちろんそれ自体は非難することじゃないけれど)
そういうのって、作りごとめいてるからこそ、私小説的とでもいいましょうか、作者の日常を入りこんでたら書けないじゃないですか。ハイテンションなものを本当にハイテンションで書いてたら多分ばかです。(そして僕はそのばかなことをしょっちゅうやらかします)
冷めた目で、作者は作品を見下ろす形で書くのが計算の書き方、作者が作品に感情移入して書くのが即興的な書き方だとすると、うーむ皆はどうやって書いてるのかしら。
(これ、読み方ならば普通にしてたら大抵後者だよね。「作品に引きずりこまれた」とかよく聞くし)
例えば小説なんか読んでると、いかにも虚構らしい、いいかえればうさん臭い作りごとめいた文章が出てくる訳です。ハイテンションなラノベとか見るとよく実感できるんじゃないでしょうか。(もちろんそれ自体は非難することじゃないけれど)
そういうのって、作りごとめいてるからこそ、私小説的とでもいいましょうか、作者の日常を入りこんでたら書けないじゃないですか。ハイテンションなものを本当にハイテンションで書いてたら多分ばかです。(そして僕はそのばかなことをしょっちゅうやらかします)
冷めた目で、作者は作品を見下ろす形で書くのが計算の書き方、作者が作品に感情移入して書くのが即興的な書き方だとすると、うーむ皆はどうやって書いてるのかしら。
(これ、読み方ならば普通にしてたら大抵後者だよね。「作品に引きずりこまれた」とかよく聞くし)
昔飼ったクロネコ
今日、自転車で帰路についていると、閑静な住宅街の道のなんと真ん中で、ノラ猫がいまして、ああもうそれを見るだけで幸せにしてくれるキミはなんて罪深き存在なんだいと思い、そんな僕は将来ペットを飼ってしまったらもうどっぷりだろうなあと自分の将来が見えましたので、僕は多分猫は飼いません。でしょう。
よいーん
阿部和重「グランド・フィナーレ」を読んだ。こうも良い感じな読後感を与えてくれる素晴らしい小説を読むと、もうしばらくは他に何も読みたくなくなる。ずっとずっとこの小説の事ばかり考えていたくなる。
グランド・フィナーレは、なんというか、欝屈とした雰囲気が全体を通して漂っているんだけど、最後の最後で希望が示されるからズルイ。あまり現代若手作家を読まないから、狭い範囲しか分からないけど、なんだか舞城王太郎思い出すよなあ、このやり方。すげえいい。カタルシスってこういうこと言うんだろうか。
希望、とは言ったけれど、グランド・フィナーレはなんだか手放しでワイワイやる希望じゃない。どこかひっかかる希望。ひっかかってるけど希望。
うーん、この感動を言葉に出来たらさぞや気持ちいいだろうなあ。誰か僕に言葉をください。
グランド・フィナーレは、なんというか、欝屈とした雰囲気が全体を通して漂っているんだけど、最後の最後で希望が示されるからズルイ。あまり現代若手作家を読まないから、狭い範囲しか分からないけど、なんだか舞城王太郎思い出すよなあ、このやり方。すげえいい。カタルシスってこういうこと言うんだろうか。
希望、とは言ったけれど、グランド・フィナーレはなんだか手放しでワイワイやる希望じゃない。どこかひっかかる希望。ひっかかってるけど希望。
うーん、この感動を言葉に出来たらさぞや気持ちいいだろうなあ。誰か僕に言葉をください。
名言について考えたくだらない事
名言って、ちからあふれる言葉のことを名言って言うんでしょうが、そこに実感が伴わないとなんにもなりませんよね。つまりは、聞く人の心掛け次第。
そもそも名言なんて、大したこと言ってない訳ですよ。人々が皆潜在的に知っていることを、偉い人が言って(更には「だ、である調」を使ってw)、その言葉を自分の過去にあてはめて、後悔なり同調なりして改めて力を実感させる訳でしょう。知っていない言葉を言われたなら、多分共感できずにふーんで終わってしまいます。
じゃ、何も名言だけに限らずに、自分が全ての物事に対して価値があるように心掛ければ、人生ばら色なんじゃないでしょうか。
と、これ自体なんども言われてきたであろう文章群というオチです。多分そんなことムリだよね。ムリだからこそ、貫徹は美徳とされるんでしょうし。
そもそも名言なんて、大したこと言ってない訳ですよ。人々が皆潜在的に知っていることを、偉い人が言って(更には「だ、である調」を使ってw)、その言葉を自分の過去にあてはめて、後悔なり同調なりして改めて力を実感させる訳でしょう。知っていない言葉を言われたなら、多分共感できずにふーんで終わってしまいます。
じゃ、何も名言だけに限らずに、自分が全ての物事に対して価値があるように心掛ければ、人生ばら色なんじゃないでしょうか。
と、これ自体なんども言われてきたであろう文章群というオチです。多分そんなことムリだよね。ムリだからこそ、貫徹は美徳とされるんでしょうし。

